フィロティモス偸生記

καθεύδειν αὐτὸν οὐκ ἐῴη τὸ τοῦ Μιλτιάδου τρόπαιον.

フィリップ・アリエスに謝れ

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あのさぁ、金を出させる以上は出資者、つまり政府であり国民であるわけだけど、彼らを説得するのが当然だし、自分の研究がすぐに役立つかどうかは別として、税金から出資するどんな意味ないし価値があるのかを伝えるべきなんじゃないの? それすらせずに「研究費足りないから金寄越せ」じゃあ誰もその気にはならないってば。

別に役に立つかどうかだけで勝負しなくたっていい。俺としては何の役にも立たない研究であっても、それをまとめれば面白い本になるってだけでもその研究には意味と価値があると思うし、現に歴史オタクとしては学者先生が歴史研究に勤しんで面白い本を出し、これを読んだ俺が「ほぅ!」と膝を打てるのならば、研究費要求として多少の税金を投入することに納得できるし、研究費投入の意味も価値もあると感じる。別に役に立つことだけが研究の価値の全てではなく、市井の人間に知的エンターテイメントを供給することだって価値を持つと俺は信じている。

役に立つことも娯楽も、その他いかなる価値も生み出すことができないし、出資者を説得できないっていうのならばそんじょそこいらのアマチュア郷土史家みたいに手弁当でやればいい。経済的な投資と同じで、人に金を出せっていうのなら相応の意味や価値があることを説得しなければそれも叶わない。歴史を見渡せば、研究とは関係ない仕事をしつつ手弁当で研究を進めて大をなした学者たちが多数いる以上、「私の研究は役に立ちません。私の研究の価値も意味も説得できません。でも研究費ください。あとポストも」ってのは虫のいいわがまま以外の何だっていうんだ。

この手の話を見聞きするたびに思うんだけど、他罰的に人様に対して不満を述べる前にまず自分たちがやることがあるんじゃないかしら。