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フィロティモス偸生記

καθεύδειν αὐτὸν οὐκ ἐῴη τὸ τοῦ Μιλτιάδου τρόπαιον.

それゆえに俺は言いたい。

自らの「生きた証」を、それもあっという間に消え失せたり、その痕跡すら分からないほどに希釈されたものではなく、「他の誰でもないこの俺の生きた証!」と言えるような、それこそ属人性の極致と言うべきものを希求するのであれば、それは偉大な人たちが保持し、そして彼らを偉大な人ならしめている偉業、そしてそれに由来する不朽の名声をおいて他にはない。

子供も愛も、建物も、自分の死後にそれらだけが残ったとしても、「この俺の!」と言えるようなものではない。

だが他方、名声ほど属人的で、その名声を持つ偉大な人の名前とその生と分かちがたく結びついたものはない。ナポレオンの名を出すことなくアウステルリッツの会戦を語ることはできないし、『国家』について語る際にプラトンの名を出すのを避けることなど不可能だ。

これほど「他の誰でもないその人のもの」としての「生きた証」に相応しいものはない。

そうだろ!?