フィロティモス偸生記

καθεύδειν αὐτὸν οὐκ ἐῴη τὸ τοῦ Μιλτιάδου τρόπαιον.

幸福の貧困なイメージ

最近radikoでラジオを聞いている。それで最近の曲を耳にするんだけどさ、昨今のラブソングって「ずっと一緒に」とか「いつまでも二人で」的な歌詞多くね?

こういう歌詞での幸せのイメージはなんだか静的で「シンデレラはいつまでも王子様と幸せに暮らしましたとさ」的で、同じ状態がずーっと続くっていうイメージなんだよね。

なーんか発想が貧困すぎやしませんかねぇ?

 

そんな貧困な発想の持ち主どもには少し長いが、ブルクハルトの『世界史的考察』にあったこの言葉を送りたい。

何よりもまず言えることは、いつまでも変わることのない状態を幸福と考えるのは、昔話だけである。 こうした昔話の世界に息づいているような子供っぽい考え方は、永続的でお祭り気分的な無事息災の心象を(オリュンポス山と逸楽郷のちょうど中間に)魔法で封じ込めようとしているのかもしれない。これとても徹底的に、真剣に考えられているわけではない。すなわち、ついに悪い魔法使いが死に、悪い妖精が罰せられると、今度はアブドゥラーとファティマが無論幸福な国王夫妻として高齢にいたるまで統治し続ける。しかし空想は結局、彼らの試練が終わるとすぐに彼らに別れを告げ、それ以上はもう彼らに関心を抱くことはなく、むしろハッサンとスレイカもしくはレイラもしくは他の夫婦に関心を抱くのである。(中略)幸福とは特定の状態にいつまでも留まるところにその本質があるとする見解自体がそもそも間違っている。原始状態もしくは自然状態では、ある一日がつぎの一日と、ある精機がつぎの世紀と同じ姿をしているが、ついになにかあることでそれが中断して、歴史のある生活が始まるのであるが、こうした原始状態はとにかくとして、われわれはこう心に思わざるをえない。すなわち、同一状態に留まることは硬直化と死にいたることを意味し、動いてゆくことのうちにのみ、たとえそうしてゆくことがいかに辛くとも、生命が宿っているのだ、と。