フィロティモス偸生記

καθεύδειν αὐτὸν οὐκ ἐῴη τὸ τοῦ Μιλτιάδου τρόπαιον.

名誉は俗物が求めるものじゃない

よく金や権力と並んで名誉は、「三大俗物が求めるもの」に数えらえているが、俺はむしろ逆なんじゃないかと思う。

というのも、名誉を求めることは持ち出しであり、銭金や労力で言えば赤字になるから。

名誉を得るためには自分がその名誉に相応しいことを示さなければならない。慈善家としての名誉が欲しければ、莫大な金、あるいは献身的な奉仕が要求される。勇者としての名誉が欲しければ銃弾飛び交う戦場や危険な災害現場で命を賭けなければならない。賢者としての名誉が欲しければ、長い時間勉学にいそしみ、実行においては完璧に事を予期し、適切な手を打たなければならない。

そして一度得た名誉はそれを維持するために継続的にそういったコストやリスクを払わなければならない。この声望を利用して快楽を追及したり、金儲けをしようとすれば、失望を被り、せっかく得た名誉は跡形もなく吹き飛んでしまう。名誉の維持には名誉の源になった衆に秀でた行いと、研鑽と禁欲が絶えず必要になる。

名誉で得られるものといえば内面的なものとしては自分の卓越性についての満足感、外的なものとしてはせいぜい他人からの称賛や多少のVIP待遇くらいなものであり、それによって得られるキャッシュバリューは払ったコストに釣り合うことはない。そのコストの最たるものは誰もが惜しむもの、自らの生命だ。「たかが」名誉を守るためにいったいどれだけの侍が本来ならば掛け値なしの価値を持つはずの自らの生命を投げ出して死へと突進したことか!

それに名誉の副産物としての利得を求めるならば、それは名誉を求める人ではなく、そういった利得を求める人と呼ぶのが適切だろうさ。

だから俺は思うわけ。名誉を求めるということは銭金の計算ができる人間、俗物のすることでは決してない、と。