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フィロティモス偸生記

καθεύδειν αὐτὸν οὐκ ἐῴη τὸ τοῦ Μιλτιάδου τρόπαιον.

一昨日にテレビで『時をかける少女』をやってたのでながらではあるものの見てみた。

まあなんだね。そんじょそこいらのお嬢ちゃんお坊ちゃんに日当渡して読ませたのかと思うくらいの棒読み。

で、ネットでそれっぽいワードでググってみたところ、「棒読みなのが自然でいい」とか「声優の演技はわざとらしい」とかいう理由でこんなトンチキなことをやってるらしい。

いやでもさぁ、それだったら別にアニメだけじゃなくてね、映画やドラマや劇でもプロの俳優なんて使わずにそこいらの素人さんを使えばいいじゃない?

やっぱり俳優には俳優らしさが必要なんだろうし、アニメの声優にもアニメの声優らしさが求められてるんじゃないの?

というかそもそも、そういった作品は現実をそのまま映せばいいものじゃなくね? モデルはみんなすらっとした体形の美男美女だし、商品パッケージの写真は実物とは違うし、これらは「リア ル」じゃないまがい物だ。だけど、モデルとして、パッケージ写真としては「サマになる」、あるいは「恰好がつく」。そこいらを見回せば吐いて捨てるほどいるような小太りや短足のモデル、あるいは箱から出したまんまを写真にとってもいいけど、それじゃあサマにならないし、恰好がつかない。「サマになる」、あるいは「恰好がつく」というのは「現実的」とは明らかに別の状態なんじゃなかろうか。

だから、アニメ声優の演技がわざとらしいっていうのは確かにあるのかもしれないし、不自然といえばそうだろうけど、それが求められ、それを排した起用法が批判を浴びるのは、ことアニメという場面では、実際ではめったにお目にかかれないような美男美女がモデルとしてサマになるように、アニメ声優の演技がサマになって恰好がつくから。そういうもんじゃねえのかしら。