フィロティモス偸生記

καθεύδειν αὐτὸν οὐκ ἐῴη τὸ τοῦ Μιλτιάδου τρόπαιον.

万能の説明理論、酸っぱいブドウの理論

何かしらのものに対する批判を、本当はそれがほしいのに手に入らないから酸っぱいブドウの理論で自己正当化している、と言って叩く人ってネットに腐るほどいんじゃん。例えば「女叩き」とかさ。

俺は思うんだけどさ、この勝手に人の気持ちを、(相手が否定しようともお構いなしに)本当はそれがほしいのに手に入らないから酸っぱいブドウの理論で自己正当化していると「本当はこう思ってるんだろ!」という風に片づける説明方法ってどんな批判や否定でも説明できるよね?

例えばさ、プラトンが超面白いと思ってる俺が「プラトンをなんで読まないの?」と誰かに聞いてみて、聞かれた人が「いや、別にプラトンには興味ないし」と答えたとしよう。そこですかさず俺は「嘘だな。本当は興味津々だけど自分が馬鹿で哲学の話なんて理解できなさそうだから避けてるんだろ」と言い返す。言われた相手はほぼ確実に納得しないだろうが、どう言い返そうともその都度にそれも自己正当化の一環だと俺が頑なに言い張り続ければ、もう相手はお手上げ。

あるいは野球に興味がない人に「どうして野球を観戦しないの?」と聞く場合、特定のジャンルの音楽を聴かない人に「どうしてこの音楽を聴かないの?」と聞く場合などなど、たいていの趣味嗜好や価値観の相違の話はプラトンの場合と同じように、当人の意向そっちのけで酸っぱいブドウの理論で押し切ることができる。この万能っぷりはとかく不可解な事柄の説明において持ち出される全知全能の神に勝るとも劣らないんじゃないかと思う。

とまあ、こんなわけで書きたいことを書き尽くしてもう話すようなことはないので適当に結論をでっち上げてみる。

結論:この手の万能の理論に訴える奴の言うことは眉に唾つけて聞いた方がいいよ。

 

 

おっと、言い忘れた。プラトンは予備知識がなくても読みやすく、分かりやすく書かれているし、単なる読み物として、娯楽読書として本当に楽しいからな。