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フィロティモス偸生記

καθεύδειν αὐτὸν οὐκ ἐῴη τὸ τοῦ Μιλτιάδου τρόπαιον.

戦争経験者について思うこと

終戦の日前後ということでここ数日はテレビや新聞なんかでしょっちゅう戦争経験者のコメントが流れている。戦争経験者の語る戦争体験には傾聴に値するものが数多くあるのだろうが、戦争経験を離れて集団的自衛権とか憲法9条とか戦争と平和一般についてへと話が移ると、そこはかとなく彼らの言いぐさには戦争を経験したからには自分たちのほうが戦争を経験していない人間より戦争と平和についてよく知っている、より正しい意見を持っている、という風な自負のようなものが見え隠れするような気がする。まるで自分は軍事に通暁した専門家だと言わんばかりに。

でも、領主の動員に従って関ヶ原の一角で戦った一足軽よりもそれから400年後の歴史学者の方が関ヶ原の戦いについて(その原因、背景、布陣、経過、結果、影響といった)知識をより多く持っているのと同じように、戦争を経験したからといって必ずしも戦争と平和の何たるかについて通暁しているというわけでもないだろう。それに、ライオンとして生きているライオンよりもライオンの研究者の方がライオンの消化器官の構造についてよく知っているように、ある事柄を「知る」ということと「経験する」ということは別のものだ。

しかも彼らが経験したのは第二次世界大戦という一つの戦争に過ぎない。歴史上数多くの戦争が起こったにもかかわらず、その中のたった一つを経験したからといって自分は戦争全般について知っている、と放言するのは余りにも乱暴だ。多分彼らはペルシア戦争の原因も、カンネーの戦いハンニバルが用いた戦術も、南北戦争のチャンセラーズヴィルの戦いでの南軍のあの芸術的な機動もほとんど知らないだろう。

とまあ、色々書いてきたけど、俺が結論として言いいたことは戦争一般と、第二次世界大戦という個別の戦争とを「戦争」という一つの言葉で区別せずに表現するのはやめて、きちんと両者を分別してそれぞれについて語ってほしいってこと。