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フィロティモス偸生記

καθεύδειν αὐτὸν οὐκ ἐῴη τὸ τοῦ Μιλτιάδου τρόπαιον.

シャルル・ダレノガレの生涯

世間が盆休みだとかで浮かれている中で仕事をしていると、ふとダレノガレ明美の「ダレノガレ」ってフランス語のde+母音で始まる地名がエリジオンした形みたいだなあと思った。「ダレノガレ」というのはなんだかシャルル・ダルブレ(Charles d'Albret)とかイヴ・ダレグル(Yves d'Alégre)に響きがにているように思えるのだ。フランス語は基本的に末尾の音は発音しないので、ダレノガレのスペルはd'Alenogaretにでもなろうか。

ちなみにシャルル・ダンジュー(Charles d'Anjou)とか、ジョン・オブ・ゴーントとかルドルフ・フォン・ハプスブルクRudolf von Habsburg)のように、中世ヨーロッパの貴族は「ファーストネーム+「~出身の」という前置詞+領地あるいは出身地」という風に名前を表記することが多い。

 

シャルル・ダレノガレ(Charles d'Alenogaret  1397-1453)

英仏百年戦争期の騎士。フランス北部メーヌ地方のアレノガレ城とその周辺を治める騎士ユーグ・ダレノガレの長男として生まれる。父ユーグが1415年のアジャンクールの戦いで戦死するとシャルルは家督を継ぎ、イングランド軍と戦う。1429年のオルレアンの戦いに参加した際にはジャンヌ・ダルク、ラ・イール、ジル・ドゥ・レーらと轡を並べて奮戦し、勝利を得るも右目を失う。ジャンヌ・ダルクの死後はリッシュモン元帥の下でイングランド軍と戦い続けてフランス軍きっての勇将としてイングランド兵から恐れられた。1453年のカスティヨンの戦いでは敵将ジョン・タルボットを負傷させてイングランド軍潰走のきっかけを作ったが、敵の追撃中に流れ矢に当たって戦死する。これら一連の功によって息子のアンリ・ダレノガレは伯爵に叙せられ、以降アレノガレ伯爵家はフランス革命に至るまでフランス屈指の名門貴族として名を馳せ、多くの高官を輩出した。

 

以上、仕事中につらつらと妄想を働かせてでっちあげたいもしない人物についての嘘八百でした。歴史オタクじゃなければ人物事典にこんな記述があれば多分俺は信じてしまうかもしれない、それくらい「ダレノガレ」はフランス貴族っぽい響きだと思う。