フィロティモス偸生記

καθεύδειν αὐτὸν οὐκ ἐῴη τὸ τοῦ Μιλτιάδου τρόπαιον.

挨拶大好き人間の生態

本日、道をトコトコ進んでいたところ、学校帰りと思しき子供から挨拶をされた。鬱陶しいので無視をしてたら「聞こえてますか!」と明らかに怒った声でその子は俺に言ってきた。俺はなおも無視してそのまますれ違ったから、あの子の中で俺は挨拶すらできないダメ大人として認識されたことだろう。

でも、俺にも言い分はある。

まず、俺は自分から挨拶をしておいてこちらにも挨拶を要求する奴が嫌なのだ。なんで人様の自己満足に俺が付き合わなきゃならんのだ。礼儀だなんだのと言うけど、人様に余計な手間を取らせるのが礼儀ってもんなのだろうか? あと、挨拶をされれば、挨拶を返すのが当然っていうのなら、俺があの子の家にいきなりカニとかを送りつけて請求の電話を寄越せば、あの子はカニの代金として俺が要求するウン十万っていう金をポンと振り込んでくれるんだろうか?

さらに、こうやって挨拶を人に強要するような連中は「挨拶をしない」という一事で人様の人格を全否定してくる傾向にある。「挨拶ができない奴は仕事ができない」とか「挨拶をしない奴は人として未熟だ」とか。これがいけ好かない。そんな風にクソミソに言われて「はい。分かりました」と素直に従う気になる人なんていない。絶対に。こんな言い方をされれば大抵の人は反発の感情を覚えるよ。

「結婚をしない奴は人として未熟だ」

「海外旅行をしたことがない奴は了見が狭い」

「スポーツをしない奴は幼児的だ」

以上の文句を聞いて結婚、海外旅行、スポーツをしたくなったらあなたは聖人君子。

 

あと、「挨拶ができない奴は仕事ができない」っていうけど、これにも引っかかる。例えば、挨拶をよくする愛想のよいAと無愛想で挨拶をしないBという二人の刀鍛冶がいたとしよう。この場合、挨拶大好き人間はAの方がBより挨拶をするという一事をもってAの方が「仕事ができる」、つまり、より美しく、切れ味のよい、丈夫で長持ちする刀を作れるとでも言うんだろうな。

さらに「挨拶をしない奴は人として未熟だ」とはいうけど、ヤクザってよく挨拶するよね。それも大きく元気な声で。ってことは挨拶大好き人間からすれば、ヤクザは人として立派な素晴らしい人ってことになるよな。

「お前の挙げる例は極論だ」と言われるかもしれないけど、刀鍛冶の仕事も「仕事」という概念に含まれているし、ヤクザの挨拶も「挨拶」という概念に含まれているから、以上の結論は挨拶大好き人間の主張から論理的に導出される結論としては問題ないハズ。

 

とまあ、愚痴を吐いてすっきりしたところでこの駄文のまとめ兼結論

1. 挨拶大好き人間は罵倒こそが人を変える良い方法だと思っている。

2. 挨拶大好き人間は送りつけ商法に引っかかりやすい。

3 挨拶大好き人間の人間としての理想形態はヤクザである。

4. 刀鍛冶を極めたければ金槌を触ったり刀の研究をするよりはとにかく挨拶をしまくる方が近道である。