フィロティモス偸生記

καθεύδειν αὐτὸν οὐκ ἐῴη τὸ τοῦ Μιλτιάδου τρόπαιον.

「相方」という表現に感じるもやっとした感じの正体が分かった

たまにネットで恋人や配偶者を「相方」と呼ぶ人がいるけど、こういう言い回しを聞くたびに自分が感じるもやっとした感じの正体が最近分かった。

多かれ少なかれ恋人や配偶者という表現には、これがこれらの言葉の全てではないにせよ、多かれ少なかれ性的な含意がある。だが、「相方」という表現に言い換えるならば(この表現を使っている人が意図的にしているのかどうかは知らないけど)その性的な生々しさや泥臭さを薄め、当たり障りのない余所行きの言い回しになっているように感じられる。暴行をじゃれあいと、窃盗を万引きと、児童売春を援助交際と言い換えるような感じ。

そのために俺は

カマトトぶってんじゃねえよ、しゃらくせえ!

って思ってしまうわけだ。

 

まあ、逆に「ワシのほとにマラをぶちこむおのこじゃ」とか言われてもどう反応すればいいのか困るけどな。