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フィロティモス偸生記

καθεύδειν αὐτὸν οὐκ ἐῴη τὸ τοῦ Μιλτιάδου τρόπαιον.

名声欲を持つことは悪いこと?

なぜ承認欲求と自己愛が問題になるのか? - デマこいてんじゃねえ!

 

はてブ経由でこんな記事を読んだ。承認欲求に対する罵倒に対して自分が感じていたモヤモヤに形を与えてくれるような面白い記事だった。

そして、この記事を読んでいるうちに『名将たちの戦争学』という本に載っていた「もし政府が栄光を軽視し、国民がそれをあざ笑うなら、その国は間違いなく衰退する。なぜなら危機に直面した時、国家を救うものがいないからである」というウォルスレイという人の言葉を思い出した。

よく世間では名や権力を求めず慎ましやかな幸せに甘んじることが賞賛されていて、名声欲を持つことは悪いことであるかのように言われている(承認欲求という言葉はどうも小奇麗で余所行きな感じがするので、厳密に同じ意味の言葉ではないが、その情念の持つ狂おしさや泥臭さを表現できていると思われる名声欲という言葉のほうが俺は気に入っているのでそっちを使う)。でも、みんなが名声欲を持たずに慎ましやかに生きていては、社会全体で大を成そうという人が少なくなってしまうのではなかろうか。芸術家ならば内なる衝動を表現する表現欲、政治家ならば人々を幸せにしたいという使命感など善良で純粋な感情が行動の原動力になれば、それに越したことはない。しかし、そんな立派な心根の人間は断じて小数だし、誰にも褒められない中でモチベーションを維持して奮闘し続けるのは非常に難しい。

だが、この立派な心根の人間プラス名声欲を持つ人間ならば、大を成そうという人に事欠くことはないだろうし、場合によっては前者よりも後者の方が見事なことをすることだってある。例えば、古代ギリシアアテナイにはテミストクレスという異常なほどの名声欲を持った政治家がいた。なにせ、マラトンの戦いでペルシア軍を破った将軍ミルティアデスの名声に嫉妬して「ミルティアデスの戦勝記念碑が俺を眠らせてくれない」と言ったり、一生のうちで一番嬉しかった瞬間はいつかと聞かれて、サラミスの海戦の後に開催されたオリンピックの観客席に自分が入った時に観客の視線が自分に一斉に集中した時だと答えたほどだ。そしてこの名声欲と同時に彼は素晴らしい先見性と知能をも持っており、名声を手に入れるためなら手段を選ばず、何だろうとした。名声欲を原動力とした彼は敵に自軍の情報をリークしたり、味方の将軍を買収するなどあらゆる手を使ってサラミスの海戦で歴史的勝利を収め、ペルシア王クセルクセスを撤退に追い込んだ。

当時のギリシアにテミストクレスに匹敵する知力と実行力を持った人物はいなかった。ペルシア戦争の英雄といえば、スパルタのレオニダス王が有名だが、ただ時間を稼いだだけのレオニダスと、決定的な勝利をもたらしたテミストクレスが果たした役割の大きさは比べるべくもない。

つまるところ、テミストクレスの名声欲こそがギリシア文明を救い、歴史を動かしたわけだ。おそらくサラミスの海戦での勝利がなければギリシア文明はペルシア文明に膝を屈し、世界の歴史は今とは全く違ったものになっていただろう。そうなれば、プラトンアリストテレスアリストファネスエウリピデスヘロドトスやトゥキュディデスがその後のギリシアに出現したのか分かったものではない。

もしテミストクレスが愛する妻子とともに慎ましやかに暮らし、孫の顔を見て喜ぶ程度の人物だったならば、彼はサラミスの勝利をもぎ取ることはできなかったかもしれない。テミストクレスは極端な例ではあるが、一概に名声欲を持つことは悪いことではなく、偉業の種となりうることは確かだ。まさに冒頭のウォルスレイの言葉そのものだ。名声欲はそう簡単に蔑んでよいものではない。