フィロティモス偸生記

καθεύδειν αὐτὸν οὐκ ἐῴη τὸ τοῦ Μιλτιάδου τρόπαιον.

communicationの意味を調べてみた

ちょいと気が向いたのでロングマン英英辞典(http://www.ldoceonline.com/)でcommunicationという語の意味を調べてみた。

それによればcommunicationとは「人が情報を交換したり考えた内容や感情を表現する過程」だったり「とりわけラジオ、テレビ、あるいはコンピュータを使って情報を送る方法」だったり「人が自分自身のことを表現して他の人がそのことを理解する手順」とあり、まあ一言で言えば「(何かしらの内容の)伝達」というニュアンスだ。

翻ってみるに、現代日本で用いられているような、人付き合いを円滑にするだとか、集団に溶け込むとか、空気を読むとか、心と心の通い合いだとかそういった含意は一切ないし(多分こういったことはsocietyつまり「社交」といった方がより適切かもしれない)、ある本では軍隊において将軍の命令をトランペットや軍旗を使って兵士に伝えるのも「コミュニケーション」と書かれていた。だから元の意味からすれば、メモに書かれた内容を相手の顔を一切見ずに棒読みで聞かせ、相手が指示されたことをすれば、コミュニケーションは成立、とさえ言えるだろうが、多くの日本人はそれはコミュニケーション」とは認めないだろう

以上の簡単な調査からしてみれば、現代日本での、とりわけ「コミュニケーション能力」という使い方を典型する「コミュニケーション」という言葉の使い方は原語からかなり逸脱したものであり、誤解どころか曲解とさえ言えるだろう。

このコミュニケーションという言葉といい、昨今では本来の意味を飛び越えて「引きこもり」と混同されている「ニート」という言葉といい、どうも外来語は十分に咀嚼されずにいい加減に使われる傾向があるように俺には思えて仕方がない。日本では(といっても海外での事情はよく分かんないけど、少なくとも俺の感覚では)敬語みたいな言葉使いについてはうるさく言われるものだが、言葉を正確に使うということに関しては異様なまでに無頓着な気がする。